声に出して言う、思いや感情が入れば大きな声になり、ちょっと恥ずかしくてもいいんです。これも、その人にとって大事な一歩なのです。今は車での移動中は、音低ズレ、かすれたファルセット、のどをつぶしそうな地声で、歌っています。歌の歌詞って、胸に刺さる言葉があるからね。
前回の心を壊した、夢を語りましたがその続きになります。直接サイトの「緑化機械」とは関係ありません、個人的な内容が長々書かれています。飛ばしていただいても構いません。
思い出せたことは、とても印象に残っているんだ
何十年たっても、のこっているとおもいます。学生時代に、学校代表でアジア開催のチームを組んだ仲間と、その一人の地元で再会しました。車で出かけた先でのことです、日本海に1人ずつ夢や目標を叫んでいました。
「ワールドワイドになってやる」すごくザックリだけど、叫んでいました。チームで合宿し、初めての海外渡航。初めてづくしの経験が、この叫びと後の影響を与えてる。
時間は少し先送りに、就職の時にも人と違う道を選び→外国車の整備だったり。海外製品の緑化機械を扱ったり、日本にいながら半分達成してるじゃん。さよならした母との約束(してほしい事はないよ、タバコ吸わず健康でさえいてくれれば)も今は果たしてる。不満もなく、充実した毎日を過ごしていました。
めでたく4人目に男の子が誕生した。3人も4人も一緒でしょ、いいえ違います。
3姉妹で、いずれ出ていくだろうし家も手放してもいいだろう、何も残していかなくてもいい。自分も身軽に迷惑かけないように、生きてればいいだろうなんて、思ってた。
ものがある幸せより、思い出やどう生きたか?を大切にしてた、とにかく子供と一緒の時間は持てたし。お出かけも自分で、おにぎりの弁当とおかずと水筒も用意して、3人連れて公園、動物園、水族館へと休日を満喫した。共働きで、家事も子供を病院へ通院させたり、看病もやりました。家族のため、いちばんに考えていた。小学校の行事にも参加するほどだった。
自分は幸せ者だと思った、朝早く家を出て残業で夜中に帰ることもなく、一緒にご飯が食べられる。子供の成長をいつも観ていられる。自分自身も成長させてもらったと。でもそれは自分の幸せで有って、子供でも1人として考えてみると。
やっぱり金銭的な面で、不自由させたく無いと思います。
お小遣い0円政策は結婚の時から(お金や欲しいものなど話さないといけないっと思ってたから、勝手に買わない。大事にする)3人娘のころ既に工夫の限界にきた。
3人も大変で、4人なんてもっと大変でしょ
出ていくお金は、増えてる。それで入るお金は変わらない
- アルバイトや求人情報を改めて見たけど→バイト時給がよくても、フルで働くシフトだったり。
- 転職では、今の条件で稼げない。出戻りですが今も働く同期に営業で稼ぎたいと相談したが、人柄や性格上やっていけないよと言われ
- 家賃収入を考えても、10戸と頭金とマイナス返済→少子化で知識なければリスクとなるだけ
- 夫婦で、学生寮をやるのも考えた朝晩の食事提供の合間に、カフェのランチとか。畑で自給もあったので、良いかなと思いました。→少子化だよ、認定寮なれる?
- 同じような、仕事を業務委託契約取りたいが、営業力がたりない
今の仕事で、共働きでの収入でも足りない。貯蓄や進学のための費用も学資も保険も賄えない。
同居の父の年金暮らし、公園管理のお仕事をやってこれたがもう完全に引退する。
畑をやってるので、早起きするリズムや犬の散歩など気ままに。(父との同居の関係はまた別の機会に)
いい方法はないか?本屋でビジネスや自己啓発のコーナーばかり行ってしまう
経済学やビジネス成功法則など著名人の著書読んだ。経験と実績があって、その人がやっと語って良いんだと気付いたり、メディア露出からなんだよと感じていました。読むよりも、書いた方が良いんだろうな?
前に、定年前の大先輩(うどん屋さん経営)から、不景気でも粉物は良いよと言ってたのを思い出す。粉もので、新しくチャレンジする友人が近くにいた。
友人は高校迄、バイトがいっしょだったりバイクも一緒に出掛ける仲だった。でも集まる人が変わり、来るもの拒まず、去るもの追わずで暫く会わなかった(友人の対人関係なんて、勝手に決められた学校の中だったり、かかわりの中で変化したり。意志とは別だったりするよ)
ひょんなきっかけで、釣りへいったり、バイク修理手伝ったり、飲みにいったり、ライブにいったり近い存在になっていった。ちょっと変わってるけど、、僕をバカにしないし面白いと、言う居心地のよさあったな。考えてることを、打ち明けるようになった。
行列を見れば「クレープでもやるか?」好きな食べ物アメリンカンドックをソーセージ以外の中身でやる 「あ、ホットク出ちゃった。」的屋みたいなのも考えた 友人は、
「材料なんか、場所もシェアしてあげる」なんて言ってくれるし
こんないい奴だったっけ?
彼は、「前から考えてたけど、ヤりたいことやる方がいいじゃん❗」1度ケーキ職人になっていたが、1度辞め運送業やってたのに。凄いじゃん、「それもこれも凄い米粉と出会ったから。絶対イケる!」と店舗探しから、内装など独りでコツコツやってたのを知ってたんだよ。自信家で、論じて、負けず嫌い。
ちょっと紹介になりますが かなりすごい店を出してます。
米粉を使ったお菓子の後味はすっきりしてる繊細な味には、コントラスト付けるように食感を楽しめる商品がいくつもある。パン屋さんの出店数は増えています、がケーキ屋さん(洋菓子店)は減っています。逆行するように、出店するなんて大胆!ちょくちょく買ううちに、味にもファンとして伝えられますね。手土産にはもってこいですよ、小麦アレルギーや牛乳、卵を持っていても食べらるものを作っています。
ショーケースをガッツリ覗いた動画も作りました。お店に行くと、何時も悩んじゃうそんな動画です。行ってみたいなと思ってもらえたら、嬉しいです
ホームページhttp://cakeacake.jp/はこちらをクリック
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気付き
模索して模索して、どんどん広がり自分が迷子になってしまったな。でも、外へ目をむけたことでより深く考えていきました。人と会い話す機会と聞く機会が増えました。話すことで、「あれ?もしかしてっ!」と気付いてきます。ケーキ職人にも感謝
経験のないもので、イメージや妄想でしかない事は、危険やリスクが大きいなと気付き始めた。そのリスクは、在庫と小売り、飲食店などは材料がなければいけない、店舗がないといけない、マイナス多いところから始まり黒字化させるのは厳しいと思う。簡単に出来ることは、競合多くあえてワタシの店にまで来るメリットが必要になってくる。
他の人の意見と、自分の意見をより良い方向へ意識の変化に気付いた。昔の失敗から、行動前に夫婦で話し、打ち明けてからにすると。客観視できて、ブラッシュアップできた。
自分の出来ること、好きなこと、長く続いてることで 意識の向ける方向を自分に向けていきました。継続は力を感じました、珍しい仕事や技術には価値があるんじゃないか?職場の中だけが世界じゃない、可能性を見つめ直そうとなりました。置かれてる環境も良い、失敗も無駄にならないと思えた。なぜなら身近なところに、あるんです。いろんな道具が、直ぐに仕事に使えるものばかり、じいじいの趣味が高じて道具もたくさんある。新たに調達しても、じいじいに使ってもらえてら孝行できたと思えばいいと。じいじいの趣味と同業種なら、一緒にできる。
2018年の夏は、探し物と気付きと感情が高鳴りだした。なぜって?あの時と同じだ、2つの曲が自分中で1つになり体に鳥肌が立つ。感情が高鳴り自分の過去と今、これから先の迷いが消え1つにつながってきた。鳥肌が立ってしょうがない、心はもう大丈夫これは、自分を信じていいと思う。
誰かと一緒なら、関わる人を尊敬尊重リスペクトし積極的に人へかかわっていきたくなります。この後に創業への道のりを進めていくのです。「INFOREST JAPAN」屋号が今も使えるなんて、暗示していたのか??森を切り開き開拓してきた先人を敬い、機械と人の思いを通して後世へつなげる。新進気鋭の存在になり、社会へ貢献いたします。
最後まで読んでいただいてすみません、個人的ですが批判もつぶやきも何でも大丈夫です、これを読んでなにかアクションを起こしたらもう奇跡です。人との出会いで支えられてる事、忘れたくないです。ちゃんとした形で残したいと、自分の思いと関わりを綴っていきます。
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